おがちぃ散歩

11.09.25 山口城跡(宇治田原) ①

P1040978.jpg

昔、宇治田原にあった山口城は、
織田信長の命で山口甚助秀康が築いた城。
現在は茶畑となっている。

じゅぶせん
じゅぶせんの碑/ 10.10.02 撮影

周辺は城下町として整備され、現在でも古い町屋が多く残っている。


今年も『宇治田原いいとこ探検スタンプラリー』が開催されているが、
スタンプ設置場所の1つとなっている
「JA京都やましろ 宇治茶の郷」のスタンプは山口城跡となっている。

宇治田原いいとこ探検スタンプラリー 2010
JA京都やましろ 宇治茶の郷

スタンプ

永谷宗円生家

御栗栖神社

山龍寺跡

このスタンプラリーのスタンプは、
それぞれの名所をデザインしたものになっている。

山口城跡 suta

そして、ここ山口城跡のスタンプは、
茶畑と看板がある風景をデザインしたものとなっている。

説明書きの看板は、
あくまでその場所の説明や案内をするものだが、
このスタンプだと、
あたかも看板自体が名所のような扱いに見え、なんだかシュールだ。

山口城跡

しかし、そのシュールさが返ってスタンプそのものに注意を惹かせ、
背景の山の稜線や、茶畑の鉄パイプ、墓地の塀の描写がなされているなど、
図案化されながらも写実的であることに気づかされる。
このスタンプラリーのスタンプは、
美術的に見ても、クオリティーの高いスタンプであることが分かる。


天正10(1582)年6月2日、信長は、
中国地方の大名毛利氏を討つために出陣していた羽柴秀吉の援軍に自ら出陣するため、
本能寺で軍勢の集結を待っていたが、
家臣の明智光秀の謀反により、自ら火を放ち自害した。(本能寺の変)

このとき、和泉国(大阪)の堺にいた徳川家康は、
京都へ向かう途中で本能寺の変を知った。
同行していた供は少人数であったため、極めて危険な状態となり、
家康は一時うろたえ、信長の後を追おうとするほどであった。
しかし家臣たちに説得されて思いなおし、
意を決して領国である三河へと急いで帰国することになった。
この道の途中に家康は山口城に立ち寄っている。

家康が山口城に着いたのは3日の巳の刻(午前10時)で、
昼食をとり、乗馬を変え、
同日の申の刻(午後4時)に信楽へと向かっている。


山口氏は関ヶ原の戦いで亡び、山口城はその後廃城となった。

茶畑



■参照および引用
・「山口城跡前にある看板」
 宇治田原町商工会
・パンフレット「宇治田原歴史の道 信楽街道 ~家康伊賀越えの道~」
 宇治田原町産業振興課


■取材協力:十津庵

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