おがちぃ散歩

稲荷を歩こう-深草・稲荷界隈 史跡探訪-① 願成古墳 10.11.14

俊成、明兆墓地(願成古墳)A
この奥の右側に入口がある / 11.10.15 撮影

俊成、明兆墓地 (1)

伏見稲荷大社から北へ500m程歩いた場所に、
『俊成、明兆墓地(願成古墳)』という場所がある。

俊成、明兆墓地(願成古墳)D
墓地へと続く通路の傍らには、
夜泣地蔵尊がある / 11.10.15 撮影

俊成、明兆墓地(2)

ここは、平安時代末期から鎌倉時代初期の代表的歌人である藤原俊成と、
付近にある南明院を開いた室町時代初期の僧・業仲明上人、
南明院の2代目にあたり、画僧として知られる吉山明兆の墓である。

藤原俊成は「千載和歌集」の撰者で、
小倉百人一首の中の
『世の中よ 道こそ無けれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる』
という歌でも知られる。

子の定家は「新古今和歌集」の撰者として知られている。
新古今和歌集には、俊成の
『またや見ん 交野のみ野の 桜狩 花の雪散る 春のあけぼの』
という歌が撰ばれ、
また、定家の
『春の夜の 夢の浮橋 とだえして 嶺にわかるる よこ雲のそら』
も選ばれている。

俊成は深草を愛し、90歳でこの地にあった法性寺内で死去したと伝えられている。

俊成、明兆墓地 (3)

俊成、明兆墓地(願成古墳)B
11.10.15 撮影

土塀に囲まれた墓地は、中央が僧・業仲明上人の墓で、
右側の自然石は吉山明兆の墓であると伝えられている。

その左側には、大小2個の五輪石塔があり、
大きい方が藤原俊成、
小さい方が応安2(1370)年にこの丘を、
俊成の菩提の為に寄進した、冷泉家ゆかりの浄如尼の墓と伝えられている。

俊成、明兆墓地(願成古墳)C
11.10.15 撮影

この丘は墓地の関係で南明院山とも呼ばれているが、願成古墳である。


稲荷地図 00



■関連記事:おがのおーがにっくらいふ
10.11.14 稲荷を歩こう ①
10.11.14 稲荷を歩こう ②
10.11.14 稲荷を歩こう ③

■参照および引用
・「深草・稲荷界隈 史跡探訪 説明」
 地元の体育振興会が主催のイベント「稲荷を歩こう」での配布資料
・wikipedia:菩提(ぼだい)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E6%8F%90
・wikipedia:冷泉家(れいぜいけ)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E6%B3%89%E5%AE%B6
・深草トレイル
 http://www.city.kyoto.jp/fushimi/trail/
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