おがちぃ散歩

『双栗寺跡』の碑 10.10.11

『双栗寺跡』の碑 1
11.07.09 撮影

現在、宇治田原町中央公民館が建つ付近には、
「山龍寺」と呼ばれた寺院があり、
それを伝える三宅安兵衛遺志建之の碑が公民館広場前にあるが、
坂道を挟んだちょうど公民館の隣にも石碑があり、
その石碑には『双栗寺跡荒木村』(双の字は旧字体)と刻まれている。

山龍寺遺址

さらにその背面には、
昭和三年稟京都三宅安兵衛遺志建之』と刻まれ、
これも三宅安兵衛による碑であることが分かった。

『双栗寺跡』の碑 2

4
10.10.11 撮影

複数枚画像を合成
複数枚の画像を合成 / 10.10.11 撮影

三宅安兵衛(1842~1920)は、福井県小浜市出身の京都中京の織物商であった。

天保13(1842)年に若狭小浜に生まれ、
11歳で京都五条の木綿商に奉公し、
その後独立して四条烏丸に木綿博多織の店を構えた。

大正9(1920)年に他界するが、
死に臨み子息である清次郎(1872~1940)に多額のお金を渡し、
「京都のため公益公理のことに使用せよ」と後事を託した。

安兵衛は、晩年、旅行が趣味であった。
子どもたちが独立し、跡継ぎは清次郎にゆずり隠居。
その後の生活は旅行をもって第一とした。

また、安兵衛は
「旅行行楽は、鬱気を晴らして鋭気を養う。これ先第一の嗜好なりき。
そして、仕事を兼ねた半端な旅行は禁物で、
月を越しての長旅に家を忘れるよう、一枚の葉書さえ留守宅に送らない。」
という言葉も残している。(一部現代語訳)

このことから、息子の清次郎は、父が旅行をしていた時に、
その案内が少ないことを残念に思っていたことを思い出し、
昭和5(1930)年までに史跡・古墳など400基にも及ぶ石碑を立てた。

それらの碑の背面には『稟京都三宅安兵衛遺志建之』と刻まれており、
京都市およびそれ以南一帯に広がる。

ちなみに、安兵衛の生前にも数基が立てられている。


よって、
『猿丸神社の境内にある「猿丸太夫故址」の石碑を建立した人物は誰か?』
というスタンプラリーのクイズの解答は、
正確には【三宅清次郎】ということになる。

宇治田原いいとこ探検スタンプラリー 2010

この話で凄いのは、
安兵衛が遺産の使い道をあれこれ具体的に示さず、
おおまかな遺志だけを伝え息子に任せた点と、
息子清次郎が託された使い道を考えた点、
そして石碑を建立した清次郎本人の名は刻まず、
父の名を刻んだということである。

また、伊東宗裕・著「京の石碑ものがたり」という本では、
文化財保護がまだまだ一般化していない当時においては
驚嘆に値する事業といえると述べられている。


これから京都の街を歩くときは
神社仏閣や名所旧跡などの観光地を楽しむだけではなく、
それを案内する道標にも注目してほしい。
そして、その中にある三宅安兵衛と刻まれた石碑を探してみるのも、
新しい京都の旅の楽しみ方ではないだろうか。



■参照および引用した資料
・「京の石碑ものがたり」
 伊東宗裕・著 京都新聞社
・「きらめき☆Story」第56話:父子が残した石碑
 KBS京都放送 http://www.kirameki-story.tv/back56.html

■取材協力:十津庵
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  1. 2011/09/18(日) 00:44:03|
  2. 三宅安兵衛 (宇治田原)
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