おがちぃ散歩

市辺押磐皇子故址の碑 15.08.01 

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国道307号の青谷バイパスの旧道にあたる道路の傍らに
『市辺押磐皇子故址』と刻まれた石碑があります。

15.08.01 国道307号【旧道】 -城陽市南京都病院前~青谷橋交差点-




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石碑の北側には「是東 田原村一里十丁」と刻まれ、
宇治田原への距離が案内されています。

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そして東側には『昭和三年十月稟京都三宅安兵衛遺志建之』と刻まれ、
京都周辺に344基以上ある三宅安兵衛遺志建立碑であることが分かります。

■三宅安兵衛遺志建立碑について
『双栗寺跡』の碑 10.10.11
11.07.09 『山龍寺遺址』の碑
11.09.12 宇治川ラインの碑



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昭和三年からある道標を差し置いて看板が設置されている

石碑の北側からだと道沿いに石碑を見つけることは簡単なのですが、
南側から宇治田原方面へ進んでいると、
このように看板に隠れてしまっているために
石碑を見逃してしまう可能性が高いです。

こういう例は多く、
石碑に看板がロープでくくりつけられていて
碑文が全く読めないという場所もあることから、
ここはまだマシではあります。


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そして、看板に隠れた南側に面には
『是西 草内渡船所経田辺 一里』と刻まれ、
現在の京田辺までの距離が案内されています。

00 山城大橋 DSC_0223
国道307号に架かる山城大橋

草内渡船所とは現在の山城大橋のある場所にあった草内の渡しのことで、
京田辺市の草内地区と城陽市の奈島地区の間を結んでいました。
この渡しは昭和39(1964)年の山城大橋の開通により廃止されました。


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青谷川 下流部では天井川となっている


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市辺地区の国道沿いでは
工業団地「京都山城 白坂テクノパーク」の造成工事が行われています。

15.08.01 国道307号 青谷バイパス




市辺押磐皇子故址の碑のある周辺は城陽市の市辺という地区で、
古くは櫟野辺・市野辺とも記されました。

地名の由来は当地付近に櫟の樹が繁茂していたことによるといい、
また、一説には履中天皇の皇子市辺押磐皇子が住したためともいい、
地区の字の大芝は押磐(おしいわ)にちなんだものともいうそうです。

市辺地区は京都と奈良を結ぶ街道上に位置していた為、
「太平記」などの軍記物にその名が散見されるそうです。

現在の市辺地区は、江戸時代から明治22年までは綴喜郡の中の市辺村で、
明治22(1889)年に合併により綴喜郡青谷村の大字となり、
昭和26(1951)年に青谷村と久世郡久津川村・富野荘村・寺田村が合併し
久世郡城陽町が発足、
その後、昭和47(1972)年に城陽町が市制施行して城陽市となり現在に至ります。






■参照および引用した資料
・「角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻」
 角川書店
・wikipedia:市辺押磐皇子
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E8%BE%BA%E6%8A%BC%E7%A3%90%E7%9A%87%E5%AD%90
 ...など






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