おがちぃ散歩

15.04.29 【JR奈良線複線化】郡山街道踏切の線路用地と前後にある丁字路 【2】

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11.04.21 撮影

郡山街道踏切は墨染から八科峠を越え六地蔵に至る墨染通上にありますが、
この墨染通は京都から奈良へ向かう街道の1つで
明治時代には郡山街道の一部として位置づけられました。

14.07.06 黒田官兵衛屋敷跡推定地 /八科峠
14.10.14 「伏見城武家地 黒田長政下屋敷跡参考地」の碑



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左・六地蔵 大善寺前にある道標 この地点が伏見北坂と南坂の合流地点であったことを示すもの:10.01.30 撮影
右・六地蔵交差点 イズミヤ六地蔵店の看板が見える。
イズミヤの看板といえばオレンジと黄緑と赤だが、京都市内のイズミヤの看板は景観への配慮から青色である。
しかしながら、京都市の屋外広告条例が2014年9月1日に完全施行されたことに伴い、現在は撤去された。
なお、イズミヤから400m程しか離れていないイトーヨーカドー六地蔵店は現在でも堂々と看板が掲げられている。
これはイズミヤが京都市内、イトーヨーカドーが宇治市内にあることによるもので、同じ六地蔵と呼ばれる地区でも山科川を境に京都市と宇治市に分かれる。
宇治市側ではイトーヨーカドーの看板だけでなく、地上19階・15階建ての高層マンションもあり、
六地蔵では京都市より宇治市の方が都会のように思える風景がある。:10.01.18 撮影


深草から桃山丘陵を通り六地蔵へと至る道は
丘陵の北側を通るルート(伏見北坂)と南側を通るルート(伏見南坂)があったのですが、
墨染通は六地蔵の大善寺(外環状線六地蔵交差点)で南側からのルートと合流し、
宇治を経由して奈良へと続きます。

昔の街道というのは
1本の道であっても十字路や丁字路での右左折が多かったりします。

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京都市内で奈良街道と呼ばれている府道36号大津宇治線 :左・12.12.24 / 右・10.01.30 撮影

現在は郡山街道と呼ばれることは無く、
奈良へ通じる街道として「奈良街道」と呼ばれ、
奈良街道と呼ばれる道路も
国道24号線(大和街道)や山科から六地蔵へ至る府道36号大津宇治線で、
墨染通が奈良街道と呼ばれることはあまりありません。



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10.02.04 撮影

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10.02.04 撮影

伏見城築城後に現在の墨染通である八科峠を越える道ができるまでは、
線路の横の細い道が宇治方面へ向かう道(伏見北坂)でした。

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旧街道らしい野仏のある風景:10.02.04 撮影

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用地杭の位置からしてお地蔵様たちのある場所もJRの敷地内か?

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10.02.04 撮影

この道は現在の伏見北堀公園内(伏見城北堀)を経由して木幡ノ関を通る道だったそうですが、
道が伏見城内に取り込まれたこと、
深草大亀谷六鉢町と万帖敷町の区画整理(京都市深草南部土地区画整理事業)により元々の道が無くなってしまったことなどから、
形跡はほとんど見られなく、数か所に名残を残す程度となっています。

伏見城北堀 (1) 11.11.26
13.11.03 伏見城北堀 (2) 
13.11.03 伏見城北堀 (3)
13.09.07 木幡ノ関道

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区画整理された地区 区画整理が行われる前は畑の真ん中を通る細く小さな道だったという:10.02.04 撮影


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ところで、踏切脇に空きスペースとなっている三角形のJRの敷地がありますが、
お地蔵様のある横の地点と線路を挟んでその敷地と踏切西側の丁字路を結ぶと
1本の道になるように見えます。

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右・10.02.04 撮影

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この踏切西側の丁字路で分岐する道と、
木幡ノ関・伏見北堀公園方面へと続く東側の細い道は昔からある道で、
古地図ではかつての丘陵の北側を通るルート(伏見北坂)と、
現在の踏切らしき地点が十字路となっています。

郡山街道踏切K

このことから、踏切南西の三角形のJRの敷地は元々は南北の道だったところで、
郡山街道踏切前後で墨染通と接している2つの道は、元々は1本の道だったのではないかと考えられます。


十六会踏切の記事でも取り上げたように稲荷~桃山間は奈良線で最も新しい区間で、
1921(大正10)年8月1日、東海道本線が新逢坂山トンネルを通るルートに変更となり、
それに伴い稲荷~京都間の旧線が奈良線の新ルートとして流用され、
稲荷~桃山間の新線が開業しました。

15.05.02 / 11.04.30 JR奈良線 十六会踏切の謎【JR藤森~桃山間】

旧東海道本線跡① 【稲荷~山科間】
鉄道記念物 旧逢坂山隧道東口 09.02.02

この稲荷~桃山間の新線は元々あった十字路に近接して敷設されることになり、
踏切を設ける際、2つの踏切が超至近距離で隣り合うことになり、
その踏切を1つにまとめようとした結果が
今の郡山街道踏切なのではないかと推測します。

同じ踏切でも郡山街道や大和街道踏切など前後の道路を付け替えたり
石山坂本線のように交差点の中に踏切をつくったりと様々です。
その違いは、石山坂本線の場合は古くからの町の中に線路を通すことになったので、
既に家が建ち並んでいたので用地買収の面からも困難だった、
一方、奈良線の場合は周辺が農地だったので道路の線形を変えることが容易だったというように、
当時の沿線の状況によるものではないでしょうか。

15.04.29 大和街道(豊後橋通)【1】  丹波橋駅東~観月橋間

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線路横の農地 かつて良質の漬物用大根として絶賛された桃山大根の産地として、地域一帯に畑作地が広がっていた頃の名残を感じさせる風景。
大亀谷を含む桃山丘陵地帯は、伏見城のあった安土桃山時代に興味を向けられがちだけど、農村だった頃の歴史にも目を向けていきたい。:10.02.04 撮影
→おがのおーがにっくらいふ(★´ひ`★)ゞ:桃山の名を冠した野菜たち ①
→おがのおーがにっくらいふ(★´ひ`★)ゞ:桃山の名を冠した野菜たち ②
→おがのおーがにっくらいふ(★´ひ`★)ゞ:桃山の名を冠した野菜たち ③




道標02

郡山街道踏切の脇には道標があったそうで、その道標は現在深草小学校に移設されています。

このように、郡山街道踏切付近は、いわば、新旧の街道が交差する地点でもある訳です。

そういう意味でも、
郡山街道踏切という歴史を感じさせるような立派な名前は
この踏切に相応しいものだと言えます。





■参照および引用した資料
・「京の古道を行く」
 増田潔・著 光村推古書院
・「伏見桃山の文化史」
 加藤次郎・著 昭和28年11月3日・刊行
・テキサス州立大学のアーカイブ
 http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/
・国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
 http://mapps.gsi.go.jp/
・伏見区誕生80周年記念事業「伏見の古地図」
 伏見城研究会・発行
・wikipedia:奈良街道
 http://ja.wikipedia.org/wiki/奈良街道_%28京都府%29
・「京都の景観守るため…厳格な屋外広告条例が9月1日完全施行、違反なお1万件 「看板は目立たんと意味ない」 撤去自腹に不満も」
 産経新聞 2014年8月30日
 ...など








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