おがちぃ散歩

15.04.29 大和街道(豊後橋通)【1】  丹波橋駅東~観月橋間

大和街道 01
14.09.27 撮影


大和街道 02
15.04.29 撮影

10 03 PAP_0245
11.04.27 撮影


YouTube:JR奈良線 大和街道踏切【複線化工事迫る】 15.04.29

JR奈良線の踏切名にもなっている大和街道とは
すぐ脇を通る国道24号線のことですが、
この踏切を渡った先の道こそが元々の大和街道なのです。



PAP_0235.jpg
桃山福島太夫西町 大名屋敷に使われた石垣や大和街道に沿った側溝の跡が発掘されている:11.04.21 撮影
14.09.13 「黒田節誕生の地」の駒札


大和街道 05
丹波橋の歩道橋より国道24号線を見ると、直線状だった道が大和街道踏切の横で奈良線に沿って右へ大きくカーブしている。
右下の京阪バスは丹波橋駅東バス停で乗客を降ろした後、回送になった京都橘大学急行線の直通9経路のバス。:12.04.23 撮影
12.03.20 京阪バス 京都橘大学急行線 ①



大和街道 04
10.06.28 撮影

R24 001 14
14.06.13 撮影

MAP Za

伏見は城下町となって以来の道の割られ方が今も残っていて、
古地図なんかを見るとほぼ現在も踏襲されていることが分かります。

その為、伏見市街周辺は基本的には東西南北格子状に道路が敷かれていますが、
国道24号の大和街道踏切以南はそのパターンから外れ
奈良線に沿うように大きくカーブしています。

14.06.13 1998年8月の国道24号沿線と現状 (京都市伏見区桃山)

この奈良線と並行してカーブしている区間は新しく建設された道で、
この区間とその前後の大和街道の道幅が拡張されるまでは
京町通が国道24号線でした。

R79 1 (1) 04 旧24京阪宇治バスA (8)
京町通

R79 1 (1) 04 2
11.01.20 撮影

大和街道の拡張後しばらくは、
京町通りもこの大和街道の新道のどちらも国道に指定されていたようですが、
旧道の京町通りは国道の指定からは外れ、
現在は大手筋までの区間が府道となっています。

大和街道 03
大和街道踏切の南側から国道方向を見た図。
青い矢印が本来の街道の道筋と考えられる。踏切の所だけ本来の道筋よりやや右へ迂回している。(水色の矢印):11.04.20 撮影


で、パターン通りに直線状に続いているのが踏切を渡った先にあるこの道です。

PAP_0293A2.jpg
下板橋通りとの交点 左右方向が旧大和街道:10.06.28 撮影

PAP_0292.jpg
桃山毛利長門西町 :10.06.28 撮影

R24 003 14 R24 003
御香橋北西にはゼネラルのガソリンスタンドがあった。
踏切横の小さなガソリンスタンドは割と最近まであったが、
偶然にも大和街道の旧道区間(あるいは新道の区間)の起終点にガソリンスタンドがあったことになる。
左:14.06.13 / 右:06.12.03 撮影

14.06.13 1998年8月の国道24号沿線と現状 (京都市伏見区桃山)


PAP_0297.jpg TS3V00450001 A
奈良線と国道24号線の間にある3つのマンションは全て桃山駅が貨物駅だった頃の敷地だった。
六地蔵・宇治・城陽と駅前に大型マンション群が建設された駅はそれに比例してか利用者数も多いのだが、
それらの駅に負けない規模の駅前のマンションがあるのに何故か桃山駅の利用者数は振るわない。
「みんなで乗って複線化」というスローガンがあるなら「みんなで乗ってバリアフリー化」というスローガンもあってしかるべきである。
左:10.06.27 / 右:15.04.29 撮影


TS3V00460001 A PA0_0028 A
左:15.04.29 / 右:06.11.22 撮影

P1240771 A2
踏切の向こう側の線路沿いの道が大和街道踏切から続く道: 撮影

踏切から道なりに進んでいくと600m程で桃山駅前に到達します。


PAP_0062_20150504103140f2a.jpg
奈良線を跨ぐ御香橋:11.04.13 撮影

御香橋01 御香橋02
昭和59年8月竣工とある。
奈良線の電化開業は同年の10月なので電化に合わせて架け替えられたようだが、
先代の橋の老朽化に伴うものかそれとも架線の高さの関係上か?


大和街道踏切から桃山駅との間には
御香橋という御香宮の北東にある橋がありますが、
ここを桃山駅まで行かず橋を渡ると再び国道24号線に合流します。

PAP_0296.jpg PAP_0295.jpg
10.06.27 撮影

この御香橋も見る限り少なくとも2代目のようで、
先代の橋の橋脚部分の石垣が残っています。

御香橋付近01

道は橋の手前で東へとカーブしていますが、
そこをカーブせずに直線でつなぐと
その延長線でストレートに24号線とつながります。

御香橋付近02

御香橋付近03
国道と御香橋をつなぐ坂。
この坂の延長線上にある歩道と南行き車線の一部が元々の大和街道。
右の御香宮側は拡張された部分。


そう、この踏切を渡って橋を渡って再び国道24号線に合流する道筋が
元々の大和街道のルートなのです。

高低差02
11.04.17 撮影

高低差01

御香橋から御香宮前交差点までの区間では、
所々で歩道部分が車道よりも高くなっています。
これは、大和街道が元々この高さにあったからだと考えられます。
何気ない所に桃山が丘陵地であることを感じさせられる光景があるものです。

P1080556 A
12.05.19 撮影

このあたりの道路拡張部分は御香宮の境内地の一部が供出されています。
大和街道踏切から御香橋までの間(毛利長門西町から福島太夫西町までの間)の
旧道部分の道幅がそのまま昔の道幅だったと考えると、
御香宮境内の相当の面積が道路の拡張に用いられたことが分かります。



大和街道は豊後橋通ともいい、
伏見城下町において唯一
宇治川に架かる豊後橋(現・観月橋)と直結する重要な道路でした。

R79 1 (1) 01
豊後橋通りと大手筋との交点である御香宮交差点は、現在も国道24号と府道79号伏見柳谷高槻線との交点となっている。
上:12.01.19 / 中左:09.11.21 / 中右:06.09.07 / 下:07.12.02 撮影


特に、伏見城大手門と通じる大手筋との交点は
重要な意味を持つ2つの道路が交差する地点であった為、
豊臣政権にとって重要な大名の屋敷がこの付近に集中していました。


大和街道 06
12.05.20 撮影

TS3V0561A.jpg
12.06.22 撮影

TS3V0562A.jpg
12.06.22 撮影

PAP_0002A
鍋島町の国道24号と立売通の交差点 かつては交差点北と東にしかなかった横断歩道と歩行者用信号機が南にも新設された。
なお、東の歩行者用信号機も割と最近になって設置された。
この交差点付近で指月期の伏見城(指月城)の遺構が発掘されている。
大光明寺陵 09.05.24


旧24京阪宇治バスA (1)A
11.09.15 撮影

旧24京阪宇治バスA2
12.01.13 撮影

旧24京阪宇治バスA (16)A
12.01.13 撮影

観月橋とその横にある高架の新観月橋。観月橋はかつて豊後橋という名前でした。
観月橋という風情のある名前がかつての巨椋池の栄光を伝えています。

桃山駅と西本願寺三夜荘 11.11.17

豊後橋02 豊後橋01 豊後橋03
お地蔵様のお堂の横にある豊後橋町と刻まれた石碑

橋の名前は変わってしまいましたが、
この付近の地名は豊後橋町といい、名残を残しています。


【2】へ続く



■参照および引用した資料
・伏 見 城 跡 - 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所
 http://www.kyoto-arc.or.jp/news/chousahoukoku/2007-10honbun.pdf
・「最新基本地図 -世界・日本-」 九訂版
 帝国書院 帝国書院編集部・編 昭和60年1月15日発行
・伏見連続講座-ふれて、しって、みて伏見-番外編
 黒田官兵衛が亡くなったのはどこか-伏見城の大名屋敷の位置を考える-
 2014年6月16日 伏見区総合庁舎4階大会議室
・伏見区誕生80周年記念事業「伏見の古地図」
 伏見城研究会・発行 ...など





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