おがちぃ散歩

羽束師坐高御産日神社(羽束師神社) 09.05.12

羽束師神社 (1)
13.11.16 撮影

京都府伏見区の羽束師と言えば
京都府警察自動車運転免許試験場があることで知られ、
京都府在住で自動車運転免許を持っている人であれば
訪れることの多い場所だと思います。

その免許試験場にほど近い
羽束師の橋爪口交差点と菱川交差点の間の府道沿いには
大きな木々に囲まれた神社があります。

この神社は羽束師坐高御産日神社(はづかしにゐますたかみむすびじんじゃ・通称:羽束師神社)といい、
平安時代の延暦16(797)年に編纂された史書
「続日本紀」にもその名が記される由緒ある神社です。

社地は嘉永6(1853)年に再建された本殿を含め
市の登録文化財に指定されています。

御祭神は高御産日神(たかみむすびのかみ)と神御産日神(かんみむすびのかみ)で、
ムスビという語をもった神にあやかり縁結びの神にもされました。
羽束師神社 (2)

かつてこの辺りは羽束師の森と言われ、
神社の規模も今よりも大きく、京都では有数の大社だったそうです。

この地域は今年8月に台風による桂川の増水で水害があったように、
桂川と鴨川の合流点に近く、
度重なる水害の被害に遭ってきた歴史があります。
かつての大社が現在のような規模になったのも
その度重なる水害の影響によるものだと考えられています。

京都府道・大阪府道79号伏見柳谷高槻線(4)【国道大手筋~長岡京市馬場】 10.01.26


京都府道・大阪府道79号伏見柳谷高槻線 04 (14)
羽束師神社横の道標:12.05.02 撮影

神社横には羽束師川と刻まれた道標と、
その道標の由緒を伝える石碑が建てられています。

羽束師神社 (4)
羽束師神社横の道標:12.05.02 撮影

羽束師川と刻まれた道標には、
 
  西 丹波道 よし峯 向日町
  北 久我わたし すく はつかしの社 是より半丁
    京みち やはたちか道
  南 川西 山さき 柳谷道
  東 横大路わたし 伏見みち


と刻まれ、神社の前にして「はつかしの社 是より半丁」とあることから、
1丁は約109.09mなので、
ここより約55m南の場所にあったのをここへ移設してきたことが分かります。

また、ここでも柳谷観音への案内があります。
「横大路わたし」とは草津の港から出ていた渡し舟のことでしょう。

草津の港(伏見・横大路) 10.01.26

京都府道・大阪府道79号伏見柳谷高槻線 04 (15)
府道沿いに流れる西羽束師川:10.01.26 撮影

七間堀 01
七間堀川:12.12.17 撮影

石碑によると、この道標は
文政8(1825)年に私財を投じてこの地域の治水工事を完成された
羽束師神社の宮司だった古川為猛(ためたけ)を称える為に建てられたものだそうです。

羽束師川とは本支流合わせて総延長12km余の人工水路七間堀のことで、
江戸時代に工事の完成後、
羽束師神社の名を取り羽束師川と命名されたものです。

慶長元(1536)年頃、豊臣秀吉により桂川に堤(太閤堤)が整備された影響で、
この辺りの水田が湿地になってくるのを見かね、
江戸時代の宮司であった古川為猛が苦心の末羽束師川を改修し、
このあたりの溜水を久我から古川・樋爪・水垂・大下津・山崎を経て
桂川や淀川へ排水するようにしました。

これにより紀伊郡・乙訓郡にまたがる12村は累代にわたる水害から免れ、
荒廃した土地は耕地に代わり現代にまで至っています。

羽束師神社 (5)
羽束師神社横の道標:12.05.02 撮影


羽束師神社 (6)

羽束師神社 (7)
13.11.16 撮影

後撰集(巻10)に 

  忘られて 思ふ嘆きの 茂るをや 身を羽束師の 森といふらむ

という歌があります。

羽束師は形容詞のハヅカシ(恥)と同じ音なので
歌枕にするのに都合がいいそうです。

昔の羽束師はただ木々だけの平凡な土地だったそうですが、
この面白い地名であるがゆえに
和歌に詠まれることが多くなったため有名になったそうです。

しかし、平安時代以後になると、
羽束師に訪れたこともないのに詠った歌人も多かったそうです。


ところで、記事を書くのに参照している書籍には、

  羽束師一帯は近年までは田園地帯だったが、
  現在は新興住宅や工場が建ち、
  道路も整備されたのでかつての面影はまったくない

と全否定とも言えるかたちで書かれていましたが、
面影が“まったくない”ということはないように思います。

R79 1 (48)
かつての畦道の雰囲気が残る古道:10.02.07 撮影

羽束師橋西詰から菱川交差点までの道幅の広い4車線の府道の南に
道幅の狭い細い道(地図によっては府道203号とある)があり、
戦後間もなくの地図や1991年の地図を見ると
4車線の府道の方は近年できた道で
その南の細い道は昔からあった道であることが分かります。

脇に田畑が残るその道を行くと、
かつて田園地帯だったこの辺りに伸びていた道は
このような雰囲気の細い道だったのだろうと想像することができます。




■参照および引用した資料
・「京都の地名を歩く」
 吉田金彦・著 京都新聞出版センター
・「京の古道を行く」
 増田潔・著 光村推古書院
・「エリアマップ 都市地図 京都府① 京都市」
 1991年3月 昭文社
・テキサス州立大学のアーカイブ(Kyoto South (5.3 MB) )
 http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/
・いしぶみデータベース/ 伏見区・HU105:羽束師川・丹波道・善峯・向日町【道標】
 京都市歴史資料館 情報検索システム フィールド・ミュージアム京都
 http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hu105.html







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