おがちぃ散歩

草津の港(伏見・横大路) 10.01.26

草津の港(伏見・横大路)  (1) 02

羽束師橋東詰の南、
桂川の堤防(京都府道801号京都八幡木津自転車道線)の横に
「魚市場遺跡碑」「魚魂」と刻まれた石碑があります。

京都府道・大阪府道79号伏見柳谷高槻線(4)【国道大手筋~長岡京市馬場】 10.01.26

これは、かつてこの辺りにあった魚市場とその繁栄を伝えるものです。
元々あった碑は大正8(1919)年に
当時の水産関係者が往時の繁栄を後世に伝えるために建立したものでした。
ところが、昭和9(1934)年の室戸台風、
昭和21(1946)年の地震により倒壊してしまいます。

現在の碑は昭和60(1985)年に
市場水産関係者などから集まった寄付金により再建されたものです。

再建後は「魚魂碑顕彰会」により、
毎年4月の第一日曜日に魚魂碑魚供養の式典が行われているそうです。


草津の港(伏見・横大路)  (3)
桂川、その奥に京セラの本社ビル、さらに遠くに稲荷山と比叡山を眺める。

草津の港(伏見・横大路)  (4)
現在は渡し舟に代わり羽束師橋が架かる

草津の港(伏見・横大路)  (5)
川岸に咲く菜の花と天王山:12.05.02 撮影

かつての横大路は水運により難波(大阪)と通じていて、
難波から京都への要衝として栄えていました。

豊臣秀吉の伏見築城により、
生鮮魚貝類を商う問屋が軒を並べたそうです。

慶応元(1865)年、
徳川幕府により魚市場公設が命ぜられ、水産業者で賑わいました。
これは現在の京都中央卸売市場のルーツと言われています。

瀬戸内などからの鮮魚が
「走り」という問屋の仲士が威勢のよい掛け声をかけながら
ここから京都をはじめ近畿各地に運んだとされています。

伏見南浜が人を運ぶ三十石舟の港であったのに対して、
横大路下鳥羽の草津の港は物資を運搬する船の港でした。
草津という名は、草の茂った津だったことに由来すると言われています。
また、草津は中世には木津・今津とも呼ばれたそうです。

横大路に陸揚げされた物資は米、生魚、雑穀類などで
材木等も運ばれたそうです。

伏見 下油掛町・電気鉄道事業発祥の地 08.12.06 (伏見南浜関連の記事)

横大路の魚市場は、
明治10(1877)年京都~神戸間の鉄道開通とともにその機能を失い、
横大路の業者は京都駅前へと移転します。

草津の港の厳密な位置は
桂川の流路が当時と大きく変わっているので確定はできませんが、
この地、京都市伏見区横大路草津町の名に残っています。



草津の港(伏見・横大路)  (2)
13.11.16 撮影

魚市場遺跡碑の側には「やなぎ谷」「舟のり」と刻まれた
舟乗り場があったことを伝える道標があります。

柳谷観音への道を伝える道標は以前に八幡でも見かけました。
各地に柳谷観音への道を案内する道標があることから、
きっと昔は柳谷観音に参拝する人が多かったのだろうと思います。

11.09.24 山崎橋の名残
11.09.24 京阪橋本駅前 湯澤山茶久蓮寺の碑





■参照および引用した資料
・「老人が子等に語る伏見風土記」
 伏見区老人クラブ連合会・著 山本真嗣・監修 伏見区老人クラブ連合会
・いしぶみデータベース/ 伏見区・HU003:魚市場遺跡碑
 京都市歴史資料館 情報検索システム フィールド・ミュージアム京都
 

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