おがちぃ散歩

大光明寺陵横の陸軍石柱(陸軍工兵第十六大隊工作所跡) 09.05.24

大光明寺陵陸軍石柱 (1)

大光明寺陵陸軍石柱 (2)

大光明寺陵陸軍石柱 (3) 大光明寺陵陸軍石柱 (4)

大光明寺陵と隣にある近畿財務局桃山東合同宿舎の境界には
「陸軍省」と刻まれた花崗岩の石柱が2基あります。

大光明寺陵 09.05.24
大光明寺陵陸軍石柱 (5)
大光明寺陵と隣接する桃山東合同宿舎:13.09.09 撮影

これは、かつて大光明寺陵に隣接する一帯が陸軍の用地だったからで、
この2基の石柱は陸軍用地の境界を示すものです。

大光明寺陵の陸軍石柱 (6)
旧陸軍用地の横を走る近鉄京都線の高架:11.04.20 撮影

大光明寺陵の陸軍石柱 (7)
桃陵団地前のある「伏見工兵第十六大隊」の石碑:12.06.07 撮影

近鉄京都線の桃山御陵前駅から澱川橋梁までの高架から東、
桃陵団地から国道24号線を挟み、観月橋団地から桃山東合同宿舎にかけて、
戦前は陸軍の工兵第十六大隊の用地でした。

【京都府最古の高架橋】奈良電気鉄道伏見第一高架橋 12.01.06
夕暮れの澱川橋梁 ② 12.01.06

大光明寺陵の陸軍石柱 (8)
近年の桃山東合同宿舎は入居者のいない棟が過半数となっていて、
この写真の撮影時頃から使われていない棟の周囲にフェンスが張られている。:10.06.30 撮影


観月橋団地から桃山東合同宿舎にかけての一帯は
「工作地」と呼ばれた工兵隊の演習所で、
塹壕掘り、架橋のための器材の加工、
坂道での重量物の運搬などの訓練が行われていたそうです。

演習所時代の遺構にあたるものは
私の知る限りでは特に見当たりませんが、
大光明寺陵横以外にも団地と民家の境界などに
「陸軍省管轄地」「陸軍用地」などと刻まれた石柱が多く残っているのが見られます。

大光明寺陵の陸軍石柱 (9)
桃山東合同宿舎の桜:10.04.06 撮影

また、合同宿舎から団地にかけての敷地は東西に段状になっていて、
東へ行くにしたがって高くなっています。
この地形は演習地時代からのものか
指月城の時代からのものなのかは分かりませんが、
この高低差を利用して訓練が行われていたのではないでしょうか。




■参考資料
・「京都の「戦争遺跡」をめぐる」
 池田一郎/鈴木哲也・著 つむぎ出版
・「語りつぐ京都の戦争と平和」
 戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会・編 つむぎ出版



関連記事
スポンサーサイト



広告【Google AdSense】
  1. 2014/02/09(日) 08:04:04|
  2. おがちぃ散歩
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<古御香宮の陸軍省管轄地石柱(陸軍射撃場跡) 11.04.24 | ホーム | 大光明寺陵 09.05.24>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://ogardenandtawara.blog133.fc2.com/tb.php/269-74d4565d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)



広告【楽天市場】