おがちぃ散歩

桓武天皇陵 10.07.08

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伏見桃山城の天守閣を背に

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桓武天皇柏原陵

明治天皇陵・伏見桃山城の周辺一帯は森に囲まれていますが、
その一角にあるのが
現在の京都の地に平安京を遷都した桓武天皇の陵です。

桃山御陵 ①
桃山御陵 ②
伏見桃山城

京都に移った(平安京の始めの)天皇の陵と
京都を離れた(平安京の終わりの)天皇の陵が
同じ桃山の地にあることは大変に興味深いものですが、
この場所に桓武天皇陵が制定されてはいるものの
実際ここに桓武天皇が埋葬されているかは確かではないそうです。

というのも、現在各地で天皇陵とされている場所は
江戸時代から明治時代以降に定められたもので、
その当時の学術においては極めて高いレベルで調査は行われているものの、
その精度は現代の学術レベルに比べて低いからだそうです。

例えば、昔は「いい国つくろう鎌倉幕府」という語呂合わせで
鎌倉幕府の成立は〝1192年〟と学校の歴史の授業で教えられていましたが、
現在では〝1185年〟と教えられているように、
ほんの数年後には教科書の内容も変わっているくらいなので、
実は天皇陵ではなかったという場所があるのは
いくらでもあり得る話だと思います。

また、天皇陵は天皇の墓という性質上、
古墳として調査を行うことが宮内庁により制限されている為、
考古学的な証拠をもって天皇陵とされている場所は僅かで、
後年になって天皇陵の指定が見直された例も僅かです。


大岩街道より 山伏塚古墳付近 008 110421 2 (4)
左・大岩街道旧道より、奥が山伏塚古墳付近:10.02.04 / 中・山伏塚古墳付近:13.09.22 / 右・浄蓮華院、本堂の背後が谷口古墳:11.04.21 撮影

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左・桃山の遠山黄金塚古墳(伊予親王陵墓):10.02.13 / 右・大亀谷陵墓参考地:13.09.07 撮影

江戸時代は深草の谷口古墳が桓武天皇陵とされていました。
しかし、その後に深草の山伏塚古墳、大亀谷陵墓参考地、
桃山の遠山黄金塚古墳(伊予親王陵墓)を桓武天皇陵とする説や、
豊臣秀吉による伏見城造成により破壊されたという説など
様々な説が上がりましたが、
最終的に現在の桃山にある場所が桓武天皇陵とされました。


03 a
丹波橋通より 左上・12.04.23 / 左下 ・10.07.08 撮影

5 a
乃木神社北側、および明治天皇陵参道より左上 左下・13.09.07 / ・10.07.08 撮影

参道は丹波橋通りの東からと、
乃木神社北側、および明治天皇陵参道からのルートがあります。

桃山御陵の森の中にあり、空気が良いので
地域住民などの散歩・ジョギングコースとなっています。
特に夏場の早朝の散歩は心地良い道です。





■参照および引用した資料
・「京の古道を行く」
 増田潔・著 光村推古書院
・第52回 平安京ウォーク「栄華の夢跡伏見城周辺と、悠久の桃山御陵を巡って・・」
 主催・平安京史跡散歩の会 2011年4月24日
・「新版 京・伏見歴史の旅」
 山本眞嗣 山川出版社
・wikipedia:天皇陵
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E9%99%B5
 ...など



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