おがちぃ散歩

田原天皇社旧跡の碑 11.10.10

田原天皇 (1)

大宮神社の本殿から西へ坂を下ったところに
「田原天皇社旧跡」と刻まれた石碑がありますが、
これは京都府南部一帯に344基以上ある
三宅安兵衛遺志建立碑の1つです。
田原天皇  (2)
「昭和三年 秋 稟京都三宅安兵衛遺志建之」

田原天皇  (3)


田原天皇  (4)

志貴皇子(しきのみこ)は
大化の改新を果たした天智天皇の第7皇子、光仁天皇の父。
芝基皇子または施基皇子(施基親王)、志紀皇子とも記されます。

壬申の乱で皇統が天武天皇の系統に移り、
天智天皇系皇族であった志貴皇子は皇位継承とは無縁の世界に生き、
歌人として万葉集に
「石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」など
6首の歌が収められています。

晩年は都を離れ宇治田原の高尾で暮らし、
そこで馬を走らせた「王院の馬場」が残っていたと伝えられます。

その後、荒木に移ってからそこで亡くなり、
背後の山上に葬られ、「田原天皇社」が祀られました。
その後社は現在碑が建てられている天皇谷前に移り、
明治時代に大宮神社に合祀されました。

皇子は天皇に即位していませんが、
光仁天皇として即位した第6子の白壁王により
「田原天皇」とおくりなされます。

なお御陵は奈良市矢田原町の「田原西陵」とされ、
この地にちなんで田原天皇となされたということになっていますが、
実際に葬られた場所が奈良なのか宇治田原なのかは不明だそうです。

このように、皇子の人生は皇位に一切執着しないものでしたが、
志貴皇子の系統が現在まで長く続く事となりました。

現在も荒木地区の小字に「天皇」という地名が残っています。


田原天皇  (5)
10.10.11 撮影

田原天皇  (6)
11.10.10 撮影

田原天皇  (7)
11.10.10 撮影

田原天皇  (8)
11.10.10 撮影




■参照および引用した資料
・「宇治田原歴史の道 蕪村の宇治行 ~田原の隠れ里~」
 京都府宇治田原町産業振興課発行のパンフレット
・「宇治田原ものしり検定公式問題集(初級・中級共通)」
 第2版 平成24年10月改訂 宇治田原ものしり検定実行委員会
・宇治田原町 /施基皇子(田原天皇)について
 http://www.town.ujitawara.kyoto.jp/sightseeing/root/buson/buson03.html
・wikipedia:志貴皇子
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E8%B2%B4%E7%9A%87%E5%AD%90
 ...など

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