おがちぃ散歩

13.03.31 惜別テレビカー【京阪旧3000系特急車 ③】


YouTube:13.03.30 /31 京阪【旧3000系】ラストラン 臨時快速特急出町柳ゆき

京阪旧3000系電車は、昭和46(1971)年の登場以来、
42年間にわたり京阪特急として走り続け、
3月31日の中之島発出町柳ゆきの臨時快速特急の運行がラストランとなり、
長年にわたる役目を終えました。
先代の特急車の1900系は
一部車両が52年間にわたり走り続けたので、
登場から42年の旧3000系は1900系よりも短い活躍ではありますが、
1900系の現役時代は
通勤型車両に格下げされてからのほうが長かったので、
生涯特急だった旧3000系も称賛に値する電車だったと思います。

京阪1900系電車ラストランの記録 01 08.12.20 
京阪1900系電車ラストランの記録 02 08.12.20 

それでも、20~30年で廃車される電車もあるので
42年という年月は感嘆すべきことであるには変わりません。
設計段階からの秀逸さとネンテナンス技術の賜物だと思います。技術の京阪です。


TVC (1)
出町柳駅にて:13.02.03 撮影

TVC (2) TVC (3)
左・深草駅にて:12.09.14 撮影 十津庵 / 右・13.02.03 撮影

TVC (4)
13.02.03 撮影

また、旧3000系の引退は、旧3000系自体の運行の終了と同時に、
昭和29(1954)年の1800系電車の登場以来、
59年にわたって続いた京阪電車のテレビカーの運行の終了でもありました。

テレビが設置された列車自体は
京阪が日本で初めてというものではありませんでしたが、
特別料金不要の自由席特急である京阪のテレビカーの登場は
当時としては画期的なものであり、
テレビカーという言葉は京阪特急の代名詞として広く浸透しました。

テレビカーとしての旧3000系は4代目にあたりますが、
カラーテレビを搭載した鉄道車両としては日本初でした。

8000 テレビカー
08.06.30 撮影

テレビカー5代目の8000系車両は
カラーデザイン変更後に新しい「テレビカー」のロゴが表示されていましたが、
車内のリニューアル後にテレビが撤去され、
このロゴの表示も数年間だけでした。
よって、旧3000系が最後のテレビカーとなりました。

→リニューアル後の8000系車内の様子:京阪1900系電車ラストランの記録 01 08.12.20

0001.jpg
「京阪電車 中之島線10月19日開業」パンフレットより

ちなみに、カラーデザイン変更が発表された当時は
旧3000系も8000系と同様に塗り替えられる計画でしたが
引退まで実現されませんでした。


丹波橋
丹波橋駅にて:12.10.21 撮影

ミュートレにて (1)
京阪ミュージアムトレインで展示されてた旧3000系の鳩マーク:10.09.25 撮影

2012年9月29日からは先頭車両のデザインを、
改修前のデザインに変更した「クラシックタイプ」として運行していましたが、
定期運用終了後の特別運転では、往年の姿に近づけるために
中間のダブルデッカー車を外しての7両編成で運転され、
さらには車体上部の「テレビカー」の文字も
晩年のシルバーからデビュー時と同じオレンジ色に戻されていました。動画を参照)



ラストランの列車は出町柳駅に到着後、貸切ツアー列車として淀車庫まで走り、
撮影会の後、最終回送として寝屋川車庫までツアー客を乗せて走りました。

私はその列車には乗車せず、走る列車を見送るだけでしたが、
YouTubeに投稿されている
ラストラン列車の車中や車窓が撮影された多くの動画には、
昔の京阪特急の車内放送を担当をしていた大伴英嗣さんによる放送や、
寝屋川市駅通過直前で、
かつての大阪淀屋橋を発車する京都三条行きの特急の放送の後、
昔の始発駅での特急列車の発車メロディーが流される様子が映っていました。


YouTube:京阪1900系電車ラストラン 2008.12/20

こういった昔の姿が蘇ったような演出には
先代の1900系電車の時もそうでしたが、
自分が生まれる前のことで、
昔のことが強く記憶に残っている訳でもないのに胸にくるものがあります。

8030 時計
開業70周年

キーホルダー
キーホルダー

祖父母の家には、祖父が車掌として京阪に勤めていたこともあって、
京阪電鉄70周年記念の時計とか、
テレビカー3000系とニューモデル6000系のキーホルダーとか、
京阪電鉄の分厚い社史があったりしました。

私が生まれてからは
定年も近いこともあって、
もう車掌ではなく駅員として勤務していたので、
車掌として乗務している祖父の姿も、
駅員として働いている姿も記憶にないのですが、
京阪電車が身近にある環境ではあったので、
やっぱり他の鉄道とは思い入れが違ったりします。

このラストランが胸にくきた理由もそういうことにあるんじゃないかと。
祖父が乗務していた時代の電車でもあるので。
千の風ですね。

鉄道に関わらず、
小学校以降の思い出のものや場所を見た時には素直に懐かしいと思えるけど、
それ以前の幼年期の記憶については、
鮮明に覚えている訳ではないけれど見たことがあるという
懐かしさとは違った不思議な気持ちになるように思います。
多分、もっと年を重ねていくとそういうものが増えていくんだろうな。

ところで、祖父母の家の分厚い社史なんですが、
勿体ないことに小さい時の私は電車の写真のページだけを見て
他の文字のページはあまり読まなかったのです。

その本は今となっては貴重で重要な資料だけど、
祖父が亡くなってからは祖母が家の中をいろいろ整理したので
社史はどこにあるか分からなくなりました。

今だったら当然手元にキープするのですが、
そういう感じに
資料を大事に思うようになったのはここ数年のことなので
実に残念です。

車内
13.02.03 撮影

車内 (1)

車内 (2)
13.02.03 撮影

車内 (3)
13.02.03 撮影



大井川 (1) 大井川A  (2)
大井川鉄道の元京阪3000系:2009年 撮影 十津庵

旧3000系電車は京阪では引退したものの、
静岡県の大井川鐡道では現役時代と同じ3000系として、
富山地方鉄道では10030系としてまだまだ現役です。
特に、富山では一部の列車が急行や快速急行としても運用されています。

1900系は52年間走って引退したので、
旧3000系はまだ10年は走れるんじゃないでしょうか。


運転台 (1) 運転台  (2)
深草駅にて:12.09.14 撮影 十津庵

回送 深草
第一軍道より:13.03.30 撮影

あの日あの時だけじゃなく、
あの日もあの時が過ぎても、
幼少期や学生時代だけの思い出だけじゃなく、
それこそ、小さい時も学生時代も社会人になってからも
いつも走っていた。旧3000系はそんな電車だったように思います。

42年間、同じ車両が同じ路線を走り続けることは
今となってはどれだけあるか。
だからこそ、多くの年代の多くの人々の人生の中にあった存在だったから
鉄道ファンじゃなくても
旧3000系に思い入れのある人はきっと多かったように思います。


YouTube:12.10.21 京阪特急旧3000系電車と@中書島・丹波橋


YouTube:京阪特急 -淀屋橋から三条へ- 【ZucciniLABO arrangement Ver.】




■写真提供:ショートヘアー十津庵



■参照および引用した資料
・「鉄道ピクトリアル No.553 '90年5月号臨時増刊 <特集>京阪電気鉄道」
 株式会社電気車研究会 鉄道図書刊行会
・wikipedia:京阪3000系電車 (初代)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%98%AA3000%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A_(%E5%88%9D%E4%BB%A3)
・旧3000系特急車 引退に寄せて(さようならテレビカー ありがとう旧3000系特急車|京阪電気鉄道株式会社)
 http://www.keihan.co.jp/traffic/railfan/3000/interview.html
 ...など


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