おがちぃ散歩

久津川車塚古墳 11.08.07


YouTube:13.02.16 久津川車塚古墳を貫くJR奈良線103系電車

JR奈良線と言えば、棚倉~上狛間の線路が
椿井大塚山古墳を分断していることで知られていますが、
城陽市にある久津川車塚古墳もJR奈良線によって分断されています。

車塚古墳 (1)
11.07.31 撮影

車塚古墳 (2)
11.07.31 撮影

車塚古墳 (3)
11.07.31 撮影

この他にも奈良線には、
京都市伏見区の瑞光寺や城陽市の久世神社など、
線路が通っていることにより社寺の境内を分断している箇所があります。

稲荷を歩こう-深草・稲荷界隈 史跡探訪-⑦ 瑞光寺 10.11.14

芭蕉塚古墳a
芭蕉塚古墳:11.08.07 撮影

上大谷古墳 01a 上大谷古墳 02a
上大谷古墳群:13.02.16 撮影

下大谷古墳a 芝ケ原古墳
左・下大谷古墳公園:13.02.16 / 右・芝ケ原古墳群:11.08.07 撮影

城陽市の久津川とその周辺には多数の古墳が点在し、
それらを総称して久津川古墳群と呼ばれていますが、
中でもこの車塚古墳は久津川古墳群の中で最大の古墳で、
かつ南山城地域で最大の前方後円墳です。

久津川車塚古墳は昭和54(1979)年に国の史跡に指定されています。

R281 城陽 (0)
木津川堤防上から城陽市の丘陵部を眺める:13.01.02 撮影

車塚古墳を含む久津川古墳群の被葬者は、
ヤマト政権との深い結びつきを背景に、
南山城地域全域を支配した栗隈氏の一族であると考えられています。

木津川の東から車塚古墳にかけて広がる平野部は、
かつてあった巨椋池の南岸から木津川流域にわたる低湿地でした。
古代、栗隈氏の一族は
この低湿地の大規模開発を行ったであろうと推測されています。

この開発により、灌漑用・舟運用としての水路が整備され、
一帯は古代において開発の進んだ地域となりました。

栗隈氏の一族は、
耕地を一望できる丘陵の先端部に居住し、
巨椋池・木津川・宇治川を含む
古代河川交通路を支配していたと考えられていいます。


車塚古墳 (4)a
11.08.07 撮影

前述のとおり、古墳はJR奈良線により分断されていますが、
明治28(1895)年の奈良線の前身である奈良鉄道の建設工事の時に
石棺が出土しています。

久津川車塚古墳からは埴輪などの他、
石棺の中から鏡、玉類、武具、武器など多くの副葬品が出土しています。

車塚古墳 (5)a
古墳東外堀の跡地 11.08.07 撮影


車塚古墳 (6)a
古墳の横のわずかのスペースに植えられたネギ 13.02.16 撮影

検定有級者として、これを見逃す訳にはいかない。

ネギと言えば大阪のおばちゃんの節約術で、
使った後のネギの根っこ(厳密には根と茎と葉の下の方も含まれる)を捨てずに、
水につけたり植木鉢やプランターなどに植えたりして
その後再び伸びてくる葉っぱを
お味噌汁などちょこちょことネギがいる時に使ったりして
5回ぐらいは再利用するというものがあります。

ですが、再利用とは言え、
方法次第では買った時よりも立派なものも収穫できるということを
お伝えしたいと思います。

→おがのおーがにっくらいふ(★´ひ`★)ゞ:11.01.14 再利用をあなどってはいけない (σ゜Д゜)σ ①




■参照および引用した資料
・「南山城の歴史的景観」
 乾幸次・著 古今書院





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