おがちぃ散歩

大道寺 11.10.10

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大道寺は天平勝宝8(756)年、
奈良時代に山岳修行の道場として開かれた
金胎寺の北側登山口として早くから開かれたこの地に、
湯原王(施基皇子の子)の発願で
越智泰澄(おちのたいちょう)が開基しました。

越智泰澄は、鷲峰山で修行していたとき、
空の托鉢を空中に浮かび上がらせて麓の村まで飛ばすと、 ※1
食べ物を乗せて戻ってきたという「空鉢の峰伝承」で知られています。

鷲峰山金胎寺 ② 09.11.08


それから大道寺は大伽藍も配置されていましたが衰退し、 ※2
それを嘉承元(1106)年に藤原忠実の帰依により再興され、
以来、大道寺大御堂と称したといいます。

その後、平清盛と関係のあった信西の荘園だったものが、
平治の乱で信西が打たれると、 ※3
台頭した地侍が「大道寺氏」を名乗り、
寺を氏寺として管理するようになります。

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宇治田原で最期を遂げた信西の首は
地元領民によって塚を作って供養されました。
その塚は「信西入道塚」と呼ばれ、大道神社の前にあります。

秋の隠れ名所 大道神社の紅葉@宇治田原 09.11.15

以後、数百年の興亡ののち、
織田信長による寺領没収で小寺院となったといい、
昭和28(1953)年の南山城水害では裏山の土砂崩れで堂舎が壊滅し、
残された仏像などが小堂に安置されていました。


PAP_0077_20121001132802.jpg




※1 托鉢【たくはつ】
   ①僧尼が、はちを持って家々の前に立って経文を読み、
   施される米や金銭を受けて歩くこと。
   ②僧尼がはちを持って食堂へ行くこと。
   →文中では托鉢に用いる鉢のことを示していると思われる。

※2 伽藍【がらん】
   多くの僧が住み修行する場所。寺院。


※3 信西は俗名を藤原通憲(ふじわらのみちのり)といった。

   平治の乱【へいじのらん】
   平治元年(1159)年、京都で平氏と源氏、貴族の対立から起こった内乱。
   保元の乱後、権力をのばした平清盛に対して、
   源頼朝が藤原信頼と結んで対立した。
   平清盛は信西、信頼双方と婚姻関係を結んで中立的な立場にあった。
   頼朝は清盛が熊野参りの留守中に京都で兵をあげたが、
   清盛の反撃をうけて敗北した。






■参照および引用した資料
・宇治田原町ホームページ/商工・観光/観光情報
→歴史の道/鷲峰山登山道~祈りの参詣道
 http://www.town.ujitawara.kyoto.jp/tourist/walk/
→文化財・史跡
 http://www.town.ujitawara.kyoto.jp/tourist/walk/ 
・「広辞林 第五版」
 三省堂編修所・編 三省堂
・「中学歴史用語辞典」
 全国歴史教育研究協議会・編 山川出版社


■取材協力:十津庵


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