おがちぃ散歩

撞木町遊郭(夷町) 09.11.21

豊臣秀吉が伏見城城下町を造成した16世紀末、
遊郭の設置が出願されたものが許可され、現在の撞木町の西方に開設された。
その後、慶長の大地震や関ヶ原の戦いの影響で衰退したが、
慶長9(1604)年に再興が出願され開かれたものが
江戸時代に発展する撞木町遊郭である。

撞木町は別名『夷町』といい、
東海道中膝栗毛にも「桃山のけつね」として遊女が記されている。

中書島に遊郭が出来てからは、下級の遊女のみの撞木町遊郭は急速に衰退した。

中書島遊郭 09.10.24

夷町4

夷町3
「大石良雄 遊興之跡 よろつや」の碑。
大石良雄は一般に大石 内蔵助(おおいし くらのすけ)の名で広く知られ、
『忠臣蔵』として知られる、
赤穂浪士による吉良上野介らの殺害事件『元禄赤穂事件』で有名。


夷町2

現在、遊郭だった頃の名残は
入口の門の石柱と、石碑が残されるのみとなっている。

夷町1
京都府道35号大津淀線沿いにある葬儀会館は、
『DX伏見』の跡地に建てられている。
なお、この府道は古くから伏見と京都、あるいは大津、東海道を結ぶ街道であり、
歴史のある古道でもある。


かつては『DX伏見』というストリップ劇場があったが、
数年前に閉館し、建物は取り壊され、現在は葬儀会館となっている。
遊郭という場所は、【生】ということの一部分が色濃く表れた場所であったと思う。
また、生と死は紙一重であると考えると、
この場所に葬儀会館ができたことも、
ある意味、この町の歴史が反映されているのかなとも思う。

八幡の橋本遊郭は京都と大阪を結ぶ街道沿いに、
また、中書島遊郭は水運の拠点であった伏見の港近くに、
そして、撞木町遊郭もまた、京都と伏見を結ぶ街道沿いにあり、
隔離された地区ではあっても、人の往来が多いところにあったという
地理的条件を見ることができるように思う。

11.09.24 橋本遊郭



■参照および引用した資料
・「日本歴史地名大系27 京都市の地名」 平凡社

関連記事
スポンサーサイト



広告【Google AdSense】
  1. 2011/12/17(土) 19:44:03|
  2. おがちぃ散歩
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<仁丹看板と伏見city 【03】 | ホーム | 弁財天長建寺の碑 11.04.02>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://ogardenandtawara.blog133.fc2.com/tb.php/124-283297a9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)



広告【楽天市場】