おがちぃ散歩

11.09.24 京阪橋本駅前 湯澤山茶久蓮寺の碑

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電車を降りて改札へ向かうと、その先に石碑があるのに気がつく。

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その石碑には、まず正面に橋本渡舟場と山崎停車所(現JR京都線山崎駅)、
柳谷観音(楊谷寺)
までの距離が刻まれ、
その右側面には湯澤山茶久蓮寺跡と刻まれている。

これは最初、「ゆざわさんさくれんじ」と読むと思ったが、
正解は「ゆだくさんちゃくれんじ」と読むのだそう。

豊臣秀吉があるお寺を訪れた際、茶を所望したところ、
出てきたのは白湯(飲むことを目的とし、ぬるく冷ました湯)だった。
その後も茶を所望したのだが、出てきたのは白湯ばかりだったという。

秀吉は武将としての顔とは別に、茶人としての一面も持っていた。
寺の住職は、茶人である秀吉を納得させる程のいい茶を出すことはできないので、
悪いお茶をだすよりかはマシであると判断し、
いっそのこと白湯をお出しすることにしたのだそう。

意に沿うものが出てこなかったとはいえ、
その住職の対応は茶人としての自分を賞賛するものであるので、秀吉も悪い気はしなかったのであろう。
秀吉は住職の意を汲み、
湯ばかり沢山あって茶をくれない寺という意味で、
「湯沢山茶くれん寺」と言った。
これが寺号となり『湯澤山茶久蓮寺』となったという。

現代においては具だくさんのカレーや、具だくさんのカップ麺など、
‘具だくさん’を謳い文句とする商品があるが、
それよりもはるか昔に〝湯だくさん〟のお寺があったのだ。

その〝湯だくさん〟のお寺の跡をこの碑は伝えている。

この秀吉による「湯沢山茶くれん寺」の逸話のあるお寺は他にもあって、
そのひとつが京都市上京区の浄土院である。

この逸話はネットで【湯沢山茶久蓮寺】と検索すると、
数件の記事が見つかる。


八幡市で京都市内のお寺を知る。
これも、この石碑がきっかけになるのだが、
この石碑の湯澤山茶久蓮寺跡と刻まれた面の反対側を見ると
昭和二年十月京都三宅安兵衛依遺志建之』と刻まれている。

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この石碑も三宅安兵衛遺志碑だったのだ。
何も言わずともいろいろなことを教えてくれるのが三宅安兵衛遺志碑である。

ちなみに、昭和二年十月…の左側面には『京大阪街道』と刻まれ、
八幡御幸橋、樟葉までの距離が案内されている。



秀吉でお茶と言えば、秀吉は宇治橋の橋守であった通円茶屋の主に、
茶に用いるために、宇治橋の三の間の張り出しから汲み上げた川の水を
毎朝伏見城まで運ばせていたという。
城が伏見という水の豊かな場所にあり、
さらには城内にも名水の井戸があったにも関わらず、
水汲みを命じていたのである。
権力とはそういうものであるらしい。

伏見名水スタンプラリーと伏見七名水 11.04.02
11.09.12 宇治橋(京都府)


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火の見やぐらと三宅安兵衛遺志碑

・三宅安兵衛遺志碑について
『双栗寺跡』の碑 10.10.11
11.07.09 『山龍寺遺址』の碑
11.09.12 宇治川ラインの碑



■参照した資料
・「京都大事典」 淡交社
・「京洛名水めぐり」 駒敏郎・著 本阿弥書店



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