おがちぃ散歩

11.09.24 山崎橋の名残

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京都府八幡市にある京阪本線の橋本駅。
その駅名の由来は、日本三古橋のひとつである
山崎橋(やまさきばし)のたもとであることからきている。

11.09.12 宇治橋(京都府)


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ところで、橋本駅にはホームと線路をくぐる地下道があるが、
ここには以前踏切があったという。
京阪本線の連結車両数を増やす際、
駅のホームの長さも延長する必要があったため、
そのホームの延長によって踏切を廃止する代わりに、この地下道が設置された。

ホームが短く、列車がホームからはみ出す場合は、
ホームからはみ出した車両のドアは締め切り扱いとするドアカットという方法がある。
この方法は、東急大井町線の九品仏駅や、
名鉄名古屋本線の西枇杷島駅、
トロッコ列車として知られる嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵐山駅などで見られる。

橋本駅の場合は、当時の村岡四郎社長が安全面などの理由でドアカットに反対し、
この地下道を造ってホームが延伸されたという。
現在の京阪電鉄においてもドアカットが行われる駅は無い。


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駅の東側、西遊寺保育園の北側に、丘の上の住宅地へ続く坂道がある。
踏切の代わりに地下道ができたということは、
この道は地下道ができる前は京阪電車の踏切によって、
地下道の先に延びる道とつながり、もともとは1本の道だったということになる。

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地下道をとおり、そのまま道なりに西へ進むと。
柳谷と刻まれた石碑がある。
その柳谷とは、対岸の大山崎町に程近い場所にある、
長岡京市の柳谷観音として知られる楊谷寺のことである。
八幡で長岡京のことが案内されているということは、
ここからそこへ向かうことができたということである。

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石碑の裏面には、明治時代にこの碑が建てられたことと、
渡シの文字がある。
そこから、明治時代には渡し船があったということが読みとれる。
渡し船は橋があったことの名残である。

P1040912 wide 2

そして、石碑の先は淀川である。堤防の上からは対岸の大山崎町の景色が見える。
山崎橋は淀川に架けられ、八幡と大山崎を結んでいた。


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■参照した資料
・wikipedia:橋本駅 (京都府)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E9%A7%85_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C)


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