おがちぃ散歩

11.07.18 岩本城址の碑

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岩本城跡に建てられている2つの石碑のうち、
建武役岩本城跡』と刻まれた石碑は三宅安兵衛遺志碑である。

11.07.18 岩本城跡(宇治田原)

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背面には「昭和三年秋稟京都三宅安兵衛」と刻まれ、
その下は草に隠れて見づらくなっているが、
他の安兵衛碑と同じく
昭和三年秋稟京都三宅安兵衛遺志建之』となっているはずである。

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もう1つの碑には、「御成婚記念林」と刻まれ、
大正13年に「帝国在郷軍人会第一班」により、
皇太子時代の昭和天皇の御成婚記念に植樹があったことを伝えている。


しかし、こんな探索が困難な場所にも三宅安兵衛遺志碑があるとは...。
建てられた当時は、現在のように荒れてはいなく、
多くの人が訪れた名所の1つだったのだろうか。

だが、この石碑があるおかげで、
ここが岩本城跡という場所であることを、我々は知ることができるのである。


■取材協力:十津庵

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  2. 三宅安兵衛 (宇治田原)
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11.07.18 岩本城跡(宇治田原)

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11.10.16 撮影

国道307号沿いにある、
京阪宇治バスの岩山バス停付近の南には山があるが、
ここは「城山」という通称がある。
この山の山頂には、昔、岩本城という城が築かれていた。

宇治田原町には、山口城など多数の中世城郭遺構が残されているが、
その中でも岩本城は代表的な城郭。
山は多くの遺構が残され、その規模や大きさなどから
戦国時代の地元土豪の詰城であると思われているが、
文献資料がなく、城主などは判明していない。

また、周辺では奈良時代の須恵器や
通常中世城郭で使用されていない瓦の破片なども発見されており、
この城の謎を深めている。

維中前バス停の看板

岩本城跡の看板











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深いのは謎だけではなかった。

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ここに石碑が無ければ、
ここが岩本城跡ということを確認することはできなかった。

岩本城への道

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岩本城跡へは、岩山区山下(さんげ)集落から登っていくのだが、
その道は草が生い茂り、
「本当にこの先に城跡があるのか?」という不安を掻き立てるものだった。

かつては整備され、草も刈られ、雑木も切られ、入りやすく、
その城郭の遺構を見ることができたらしいが、
この状態だと、どこが遺構になっているのかさえ分からない。


とにかく、岩本城は様々な意味で謎が深くなっている。


■取材協力:十津庵




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  2. 宇治田原観光紀
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11.09.25 山口城跡(宇治田原) ②

山口城址の北側は「城の川」といわれ、城の堀だった。
近年、石垣の巨石が発見されている。

田原の流れ橋1

田原の流れ橋2

田原の流れ橋3
08.06.22 撮影

城の川に架けられた木造の橋。
木津川に架かり、八幡市と久御山町(場所としてはほぼ城陽市)を結び、
時代劇の撮影や、大きな台風がある度に流され、修復されることで有名な
「流れ橋(上津屋橋)」に雰囲気が似ていることから、
我々は〝田原の流れ橋〟と勝手に命名。

上津屋橋
上津屋橋/ 08.08.12 撮影

どうやら、橋の構造も似ているらしい。




■参照および引用
・「山口城跡前にある看板」
 宇治田原町商工会
・パンフレット「宇治田原歴史の道 信楽街道 ~家康伊賀越えの道~」
 宇治田原町産業振興課
・wikipedia:流れ橋
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E3%82%8C%E6%A9%8B
 
■取材協力:十津庵




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