おがちぃ散歩

11.07.09 『山龍寺遺址』の碑

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宇治田原町中央公民館の広場前に立つ、
「山龍寺」と呼ばれた寺院があったことを示す石碑。

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背面を見ると『昭和三年七月京都三宅安兵衛』と刻まれているのが分かる。

山龍寺遺址


この近くに『双栗寺跡』の碑があるが、
我々がこれより先に見つけたのが双栗寺跡の碑である。
すぐ近くにありながら、
山龍寺遺址の碑も三宅安兵衛によるものと知ったのは、
双栗寺跡の碑に三宅安兵衛の名が刻まれているのを見つけた後だった。

『双栗寺跡』の碑 10.10.11

双栗寺跡の碑を見つけて以後、
やけに目にする三宅安兵衛の名が気になり調べてみた。
すると、宇治田原町以外の場所にも、
多くの三宅安兵衛遺志碑があることが分かった。
その中のひとつに『山龍寺遺址』の碑もあることを知り、
再び訪れた時にその碑の背面を確かめたところ、
三宅安兵衛の名が刻まれていたのである。
灯台もと暗しである。


三宅清治郎編『木の下蔭』(私家版、1932年6月)には、
344基の「建碑箇所」表が付されている。
しかし、それには碑文と思われるものが記されてあるのみで、
精密な所在地が書かれておらず、
さらには記載を省略したものも多数あるらしく
実際には344基以上ある
という。

そして、現在それらの碑の位置を確認することは困難である。

それを聞くとますます奥が深い三宅安兵衛遺志碑。
旅路で石碑との偶然の出会いということもありそうだ。



■参照および引用した資料
・「京の石碑ものがたり」
 伊東宗裕・著 京都新聞社
・「きらめき☆Story」第56話:父子が残した石碑
 KBS京都放送 http://www.kirameki-story.tv/back56.html

■取材協力:十津庵
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  2. 三宅安兵衛 (宇治田原)
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『双栗寺跡』の碑 10.10.11

『双栗寺跡』の碑 1
11.07.09 撮影

現在、宇治田原町中央公民館が建つ付近には、
「山龍寺」と呼ばれた寺院があり、
それを伝える三宅安兵衛遺志建之の碑が公民館広場前にあるが、
坂道を挟んだちょうど公民館の隣にも石碑があり、
その石碑には『双栗寺跡荒木村』(双の字は旧字体)と刻まれている。

山龍寺遺址

さらにその背面には、
昭和三年稟京都三宅安兵衛遺志建之』と刻まれ、
これも三宅安兵衛による碑であることが分かった。

『双栗寺跡』の碑 2

4
10.10.11 撮影

複数枚画像を合成
複数枚の画像を合成 / 10.10.11 撮影

三宅安兵衛(1842~1920)は、福井県小浜市出身の京都中京の織物商であった。

天保13(1842)年に若狭小浜に生まれ、
11歳で京都五条の木綿商に奉公し、
その後独立して四条烏丸に木綿博多織の店を構えた。

大正9(1920)年に他界するが、
死に臨み子息である清次郎(1872~1940)に多額のお金を渡し、
「京都のため公益公理のことに使用せよ」と後事を託した。

安兵衛は、晩年、旅行が趣味であった。
子どもたちが独立し、跡継ぎは清次郎にゆずり隠居。
その後の生活は旅行をもって第一とした。

また、安兵衛は
「旅行行楽は、鬱気を晴らして鋭気を養う。これ先第一の嗜好なりき。
そして、仕事を兼ねた半端な旅行は禁物で、
月を越しての長旅に家を忘れるよう、一枚の葉書さえ留守宅に送らない。」
という言葉も残している。(一部現代語訳)

このことから、息子の清次郎は、父が旅行をしていた時に、
その案内が少ないことを残念に思っていたことを思い出し、
昭和5(1930)年までに史跡・古墳など400基にも及ぶ石碑を立てた。

それらの碑の背面には『稟京都三宅安兵衛遺志建之』と刻まれており、
京都市およびそれ以南一帯に広がる。

ちなみに、安兵衛の生前にも数基が立てられている。


よって、
『猿丸神社の境内にある「猿丸太夫故址」の石碑を建立した人物は誰か?』
というスタンプラリーのクイズの解答は、
正確には【三宅清次郎】ということになる。

宇治田原いいとこ探検スタンプラリー 2010

この話で凄いのは、
安兵衛が遺産の使い道をあれこれ具体的に示さず、
おおまかな遺志だけを伝え息子に任せた点と、
息子清次郎が託された使い道を考えた点、
そして石碑を建立した清次郎本人の名は刻まず、
父の名を刻んだということである。

また、伊東宗裕・著「京の石碑ものがたり」という本では、
文化財保護がまだまだ一般化していない当時においては
驚嘆に値する事業といえると述べられている。


これから京都の街を歩くときは
神社仏閣や名所旧跡などの観光地を楽しむだけではなく、
それを案内する道標にも注目してほしい。
そして、その中にある三宅安兵衛と刻まれた石碑を探してみるのも、
新しい京都の旅の楽しみ方ではないだろうか。



■参照および引用した資料
・「京の石碑ものがたり」
 伊東宗裕・著 京都新聞社
・「きらめき☆Story」第56話:父子が残した石碑
 KBS京都放送 http://www.kirameki-story.tv/back56.html

■取材協力:十津庵



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  2. 三宅安兵衛 (宇治田原)
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猿丸神社『猿丸太夫故址』の碑 10.10.11

平成22年9月1日から12月15日の間に開催された、
宇治田原いいとこ探検スタンプラリーの用紙にあるクイズで、

『猿丸神社の境内にある「猿丸太夫故址」の石碑を建立した人物は誰か?』

という問題があった。

宇治田原いいとこ探検スタンプラリー 2010

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実際に、猿丸神社を訪ね、猿丸太夫故址の石碑の背面を見てみると、

昭和三年秋稟京都三宅安兵衛遺志建之

と刻まれ、石碑を建立した人物は三宅安兵衛だということが分かった。


実は、この三宅安兵衛によって建立された石碑は、
猿丸神社のみならず、数基が宇治田原町内に点在する。

今回のスタンプラリーでは、山龍寺跡である中央公民館の前にある
山龍寺遺址』と刻まれた石碑が三宅安兵衛によって建立されたものである。
また、中央公民館のすぐ近くにある
双栗寺跡荒木村』(双の字は旧字体)と刻まれた石碑も三宅安兵衛によるものである。

山龍寺遺址

これだけ三宅安兵衛と刻まれた石碑があれば、
この三宅安兵衛という人物が一体何者なのかがとても気になる。


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■宇治田原町内に存在する三宅安兵衛遺志建立碑
『双栗寺跡』の碑 10.10.11
11.07.09 『山龍寺遺址』の碑
11.10.10 宇治茶最初園の碑
茶祖永谷翁の碑 10.12.04
11.07.18 岩本城址の碑
宇治田原道の碑 11.05.08
御栗栖園故址の碑 11.07.09
天武天皇故址の碑 11.09.25
「信西入道塚」の碑 11.05.14
石山道・信楽道の碑 11.07.09
禅定寺の碑 11.07.09
田原天皇社旧跡の碑 11.10.10



■取材協力:十津庵





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  2. 三宅安兵衛 (宇治田原)
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