おがちぃ散歩

市辺押磐皇子故址の碑 15.08.01 

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国道307号の青谷バイパスの旧道にあたる道路の傍らに
『市辺押磐皇子故址』と刻まれた石碑があります。

15.08.01 国道307号【旧道】 -城陽市南京都病院前~青谷橋交差点-



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14.04.01 井堤荼蘼故地の碑

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玉川とJR奈良線が交差する地点の北西部の堤上に
「井堤荼蘼故地」「後醍醐天皇萑旧蹟」と刻まれた石碑があります。

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11.09.12 宇治川ラインの碑

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京阪宇治駅から横断歩道を渡ると通園というお茶屋さんがあるが、
そのお店の前にある
宇治川ライン』と刻まれた石碑は三宅安兵衛遺志碑である。

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橋を渡り左へ
即ちライン勝景!!


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この石碑では宇治川ラインと
平等院、縣神社、浮島十三石塔、橘寺、宇治神社、興聖寺が案内されている。

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昭和四年秋稟京都三宅安兵衛遺志建之


宇治川~瀬田川の沿いの渓谷を通る
観光コースとしての宇治川ラインができたのは1926(大正15)年。
ここの安兵衛遺志碑が建てられたのはその3年後の1929(昭和4)年で、
宇治田原自動車が宇治川ラインを通る路線を開設したのも同年である。

京都府道62号宇治木屋線①

宇治田原町でも13基の安兵衛遺志碑が確認されているが、
それらは昭和3(1928)年の建立である。
そういう縁があって、
宇治田原自動車が宇治川ラインを通る路線を開設したのに合わせて、
ここに碑を建立したのではないかと推測する。

三宅安兵衛(宇治田原)
11.07.09 京阪宇治交通発祥の地

宇治川ラインは奇岩名石が続く名勝ではあったが、
一大観光地として賑わう前は、
ただもっぱら地元住民が利用する細道が続くばかりで、
実際には遊覧客の姿をめったに見ることはなかったらしい。

そんな場所を案内しているのだから、
当時のこの石碑の持つ意味合いは非常に大きかっただろうと思う。
石碑の存在によってそこが名所であることを知ることができるのである。

天ヶ瀬ダムと宇治と嵐山
京都府道62号宇治木屋線② 宇治橋西詰~宵待橋(府道3号との重複区間) 10.02.18


京都市およびそれ以南一帯に点在する三宅安兵衛遺志碑は、
福井県小浜市出身の京都中京の織物商であった
三宅安兵衛の遺言と遺産により、息子の清次郎が建立したものである。

安兵衛が託した金額は1万円。
現在の物価に換算するとおよそ5000万円で、
清次郎は石碑の建立に2万円を投資し、およそ1億円の事業となり、
その半分は清次郎の自己負担である。

文化財保護がまだまだ一般化していない当時においては
驚嘆に値する事業といえる。

・三宅安兵衛遺志碑について
『双栗寺跡』の碑 10.10.11
11.07.09 『山龍寺遺址』の碑




■参照および引用した資料
・「京の石碑ものがたり」
 伊東宗裕・著 京都新聞社
・「きらめき☆Story」第56話:父子が残した石碑
 KBS京都放送
・特別展「走れおとぎ電車 昭和30年代の街と暮らし」の展示資料
 宇治市歴史資料館 平成22(2010)年10月2日~11月21日



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